私の小学生時代の記憶の中でも、小学2年生の給食のことは深い記憶として残っています。
当時の給食といえば、どんなに好き嫌いがあっても『残さず食べなさい』という方針が基本でした。
ところが、私はどうしてもプロセスチーズが食べられませんでした。
先生に叱られたわけではありませんが、みんなが食べ終わる中で、私だけがチーズを前に動けずにいたのです。
あれこれ考えた末、ついに決死の覚悟でそのチーズを口に放り込み、一気に飲み込んだものの…結果として戻してしまい、悔しさと悲しさで胸がいっぱいになりました。
あのライオンの顔をしたプロセスチーズは一生忘れません。
それからの給食では、チーズが出るたびにこっそり机の中に隠し、後日密かに捨てるという手段を取るようになりました。
しかし、楽しい思い出ももちろんあります。
私が他の子よりも足が速く、運動神経が良かったことは誇りです。
かけっこではクラスや学年で負け知らずで、勝負で勝つ喜びを初めて感じたのがその頃でした。
体育の授業が一番の楽しみで、特に走ること、短距離走も長距離走も本当に楽しかったです。
運動会になると、私の実力を存分に発揮できる場が来たと感じて、興奮で胸が高鳴りました。
親も私の活躍を喜んでくれて、運動会の夜はちょっと豪華な夕食を用意してくれることもありました。
けれども、家族の会話の中で父の言葉だけには素直に喜べないものがありました。
父は私に「よくやった。でも、次はもっと良い成績を目指して頑張れ」と、いつもそう言うのです。
確かに、褒めてくれているのかもしれませんが、「もっと頑張れ」という言葉がどうしても引っかかりました。
努力して結果を出したその時だけは、純粋に褒めてもらいたい…そう願っていました。
小学3年生の夏休みには、宿題で詩を書く課題がありました。
何度も書き直しをしながら、担任の先生のアドバイスをもとに一生懸命に取り組みました。
その努力が実を結び、私の詩は学年の代表として市の展覧会に出展され、詩集にも載ることになりました。
母も私の詩の仕上げを手伝ってくれて、共に考えてくれた姿が今でも思い出されます。
しかし、その時も父は例のごとく「次はもっと頑張れ」と一言だけ。
いつも『頑張れ』という言葉がついてくる父の習慣が、その頃には私の心にも深く刻み込まれてしまっていました。
小学4年生になると、私の小さな世界はまた変わりました。
新しい担任の先生が就任早々「この1年間で全員を一度は泣かせる」と言ったのです。
その言葉に不安や緊張が走り、新しい学年の始まりでありながら、気持ちは複雑でした。
結局、何かの出来事で先生に怒られて、皆の前で泣かされることになりました。
何をしたのかは覚えていませんが、涙をこらえて我慢し、歯を食いしばっていたことが、今も鮮明に記憶に残っています。
また、その年の夏休みにも忘れがたい出来事がありました。
弟と二人で留守番をしていた時、母からお使いを頼まれたのです。
近所の八百屋で豆腐を2丁買ってくるように言われたのですが、私は一人で行くのが怖く、他人に声をかけることも苦手でした。
どうにか弟を連れて行こうと無理に誘い、果ては叩いたり蹴ったりして従わせようとしました。
それでも弟は動かず、結局お使いも果たせませんでした。
そのことで母に叱られましたが、その後弟に謝ったかどうかは正直覚えていません。
ただ、母が私を諭してくれたその出来事が心に残っています。
この事は父に知られることもなく終わりました。
母が父に言わないようにしたのでしょう。
きっと父が知ればいつものごとく暴力に走ってしまうのでそれをやめさせたかったのでしょう。
私は暴力ではなく諭しという形で自分の過ちを教えられたことで、自分の行動を反省するきっかけとなりました。
こうして振り返ってみると、あの頃の思い出のひとつひとつが、今の自分を形作る大切な経験として心に刻まれていると感じます。
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