中学1年生の頃、私は大きな過ちを犯し、母を深く傷つけてしまいました。
中学に進学すると、テストの成績に順位がつくようになり、科目ごとの点数や総合順位がはっきりと示されるようになります。
私は下位の成績を取り、とても動揺しました。
親にこんなものは見せられないという思いから、成績が戻ってきていないと嘘をついてごまかそうとしました。
今思えば、なんて浅はかなことをしたのだろうと思います。
実際、兄もいたので、成績がずっと返ってこないというのは、母にとってすぐに嘘だとわかることだったはずです。
それでも母は私が素直に打ち明けることを期待して、黙って聞いていてくれたのだと思います。
しかし、嘘は最悪な形で露見しました。
保護者会の日のことです。
その日、部活帰りに担任とすれ違ったとき、「お母さんにかなりきついことを言ったから」と言われました。
担任は明らかに怒っていて、その一言が私への強い警告のように感じられました。
瞬間、私はすべてを理解しました。
嘘で誤魔化そうとした自分の行いが頭の中を駆け巡り、激しく動揺し、背筋が凍る思いがしました。
不安に包まれながら帰宅すると、母に呼ばれました。
母は、保護者会で担任から聞かされたこと、テストの結果のことを私に伝えました。
その時、母は泣いていました。
担任にきつく言われた悔しさ、そして、何よりも私に裏切られた思いから、感情を抑えきれなかったのだと思います。
母の震えた声を聞きながら、私はただ黙って聞くしかなく、「ごめんなさい」と謝ることしかできませんでした。
その後、父にこの話が伝わることを恐れていましたが、母は父に何も言わなかったようです。
母のその行為に、私はますます頭が上がらなくなりました。
後日、兄が私と弟に言いました。「父はどうでもいい。母は絶対に大切にしろ」と。
その言葉は私にとって当たり前のことに思えましたが、兄も兄なりに父に厳しく当たられて育ってきたのでしょう。
母に対する感謝と後悔、その出来事は私の心に深く刻まれています。
私がその時にできたであろうこととしては、小さなことでも正直に報告する習慣をつけることです。
基本的なコミュニケーションが不足していました。
思春期だから親と話したくはない、なんかイライラするなど、距離をとっていました。
なにより父が怖くて関わりたくなかったのです。
しかし、家族に素直に伝えることが大切だったのです。
日常の中で「今日の授業でこんなことがあったよ」といった日常の些細な話を共有する習慣を作れば、成績に関しても自然と正直に話せていたのかもしれません。
そうなれば、成績への対策や日々の生活面の改善点などをたくさん話し合う機会ができたかもしれません。
家族と共有する時間、一人一人が話しやすく寄り添う環境であればすべてが変わっていたのかもしれません。
しかし、父の存在がそれを全てを壊していたと言っても過言ではないでしょう。
共有するための柱になる人がまとめるどころか暴力を振るっていたわけです。
父は聞く耳を持っていないのです。
父は子供に自分の理想を押し付けていただけで、少し離れて見れば裸の王様です。
私はきっと私自身を守ることしか考えていなかったんじゃないかなと思います。
楽しい日も当然ありましたが私にはいつも恐怖と不安が付きまとっていたのです。
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