皆さんは幼い頃の出来事を覚えているだろうか。私の記憶に深く刻まれているのは、辛く悲しい2つの場面だけだ。
ひとつは、幼稚園の年中の時に、おねしょをしてしまった私がクラス全員の前で立たされ、晒し者にされたこと。
周囲の視線に晒されるたびに、羞恥と自己嫌悪で心が締めつけられ、今もその記憶は鮮明に蘇る。
もうひとつの記憶は、保育園に行きたくないと自宅にこもっていたある日、昼食を家でとるために仕事から一時帰宅した父に見つかってしまったときのことだ。
私の姿を見た父は、「なぜここにいる、すぐに保育園へ行け」と、まるで怒りをぶつけるかのように殴り、蹴り、抵抗する間もなく打ちのめされた。
痛い思いをしたくなければ、親の言うことを聞き入れるしかなかった。
母は泣いている私を自転車に乗せ、午後から保育園へ送り出した。傷つき、涙を流しながら向かったあの道の景色が今も焼きついて離れない。
私の精神が落ち着く場がどこにもなかった。
こうして振り返ると、楽しい記憶はいつしか薄れ、辛い体験だけが胸に重く残っている。
父の教育は、ただ自分の理想を押しつけるだけのものだった。
子ども一人ひとりの個性や意志を尊重することはなく、無力な私たちには従う以外の選択肢がなかった。
あの頃に児童虐待防止法(2000年、平成12年制定)や教育機関での虐待防止に関する法整備があったのか知るわけもなく、暴力や過度な指導であったことを被害者である私が言えば生き方が変わったかもしれない。あればの話だが…
1980年代の日本では、現在のように児童虐待を防止するための具体的な法律はありませんでした。
当時は、児童相談所が存在していましたが、虐待そのものを明確に定義し防止する法的な枠組みが整っていなかったため、児童相談所の介入も限られていました。
実際に虐待を防止したり、加害者に対処するための仕組みは不十分でした。
つまり親の言いなりになるしかなかったのです。
コメント