中学3年生の秋、北西の冷たい風が校舎を吹き抜け、窓から差し込む光が淡く教室を照らしていた。
僕は、担任の先生から進路についてのアンケートを渡された。その紙には、「進学校」か「専門系の学校」のどちらかに〇をつける欄があった。
「高校を卒業して働く。」
僕は、すでにその決断をしていた。
中学校のの成績は特別良くもなく、勉強が苦手だった自分にとって、進学校(普通科)に行くという道は現実的ではないと分かっていた。
けれど、それだけじゃなかった。
僕には、小学生の頃から抱いていた父への対抗心。
大企業の社会人となり自分でお金を稼いで自立し、見返してやると。
内気で完全に他人軸になっていた私は、その選択が周りにどう映るのか、正直不安はあった。
クラスの友達に話せば、「なんで大学や専門に行かないの?」と驚かれるだろう。
だけど、自分の中には確かな感情があった。
今の自分に必要なのは、学校で机に向かうことではなく、手に技術をつけて、現実の社会に飛び込むことだと。
とにかく社会人になって親を見下したかったからだ。
「自分の力で稼いで、自分の手で人生を切り開きたい。」
まだ曖昧で漠然としているけれど、その思いが僕を前に進ませた。
もちろん、怖さもある。
社会という未知の世界に足を踏み入れること。失敗するかもしれないという恐れ。
それでも、自分の父への思いが優っていた。
専門系の高校へ進学したら、就職にも有利になる。
そこそこの成績であれば大企業に就職できると。
小さな町工場で働いて、毎晩酒飲んで絡んでなんて、そんな同じような人生にはならない!
大企業に入ればその時点で勝ちだと思ったのである。
日本では、「高校・大学進学」が一般的な進路として推奨されることが多いが、就職を早く選ぶことで、現場での実践的なスキルや経験をいち早く身につけるメリットもある。
それと、この頃は就職氷河期に突入したばかりで求人も一時期よりかなり少ないことはすでに把握していた。
中途半端な進学をして就職先に苦労した方かそれこそ痛いところを突かれてより生きることが嫌になってしまうと思った部分もある。
私の場合、成績の良し悪しだけでなく、幼少期から持ち続けていた父への反抗心と社会への興味が、その決断を支えていたのだろう。
社会に出て家族を支える?ありえん。
支えるのは母だけだ、と思って行動していた。
「本当にそれでいいの?」母は夕食の席で心配そうに僕を見つめた。
三者面談で私の意思を知り、それが本心か、親の影響か気にしているようだった。
「うん。俺、勉強よりも早く働く。最初は大変だと思うけど、きっとなんとかなる思うんだ。」
母はしばらく黙っていた。箸の先で湯気の立つ煮物をいじりながら、何か考え込んでいるようだった。そして、意を決したように口を開いた。
「分かった。でも、何かあったら、いつでも言いなさい。道はもっとたくさんあるんだから。」
その言葉に、僕は少しだけ胸が熱くなった。
母にとっては不安な決断だったはずだ。
それでも、僕を信じてくれることが嬉しかった。
父からの呪縛を破壊してやるという思いが自分を突き動かすエネルギーだった。
今思えば、自分の夢とか目標が全部父への復讐につながっているというなんとも言えない、客観的にみれば虚しいというか自分の人生がもったいないような狭い世界。
しかも自分のためになっていないような動機。
もう性格が完全に他人軸に囚われてしまっていた。
その時は他人軸とかそんな狭い世界観とかまったく考えることがなかった。
世の中そんなに甘くないのがよくわかってくる。
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