1980年代の親は、子どもを「しつける」ことを重視していました。
しつけとは、社会で生きていくための基本的なルールやマナーを徹底的に教え込むことを意味しました。
例えば、親は子どもに「挨拶をきちんとする」「目上の人を敬う」「時間を守る」といった具体的な行動規範を厳しく要求しました。
叱ることも子育ての一環と考えられており、時には厳しい態度を取ることで子どもに規律を教えました。
私の父は80年代の育て方に近いですが、度がすぎてるというか、軍隊のようでしたね。
戦争映画で上官が鉄拳制裁するシーンに似ているものと感じます。
だからなのか、戦争を題材にしている映画は避けてしまうのです、無意識に。
一方、現在の親は、子どもの「自主性」を尊重する傾向が強くなっています。
親は子どもが自分で考え、選択し、行動できるような環境を整えることに注力しています。
例えば、しつけを一方的な押し付けではなく、子どもがルールの意義を理解するよう対話を重視します。
また、「何が好き?」「どう思う?」といった質問を通じて子どもの意見を尊重し、自己決定の機会を増やす努力をしています。
この背景には、多様化する社会において自立した個として生きる力を育む必要性があると考えられていることがあります。
自主性、自己理解。
決定権を子供に持たせる。
親はトレーナーのような立ち位置で、観察し、子供に対してタイミングよくアドバイスができたらそれでいいのではないかと思うのです。
人生の主役は自分であることなのです。
だから小さくても一人の人間として見ていきたい、育てていきたいと考えます。
やりたい事をどう引き出すか、何に興味があるのか。
それを見つける手伝いと導きができたらいいと私は思うのです。
親の子に対しての表現力。
1980年代の親の愛情表現は、必ずしも直接的ではありませんでした。
親が子どものために働いて経済的安定を提供すること、また規律を教えること自体が愛情の表現とされていました。
子どもに厳しく接することが、「子どものため」という信念に基づいていたのです。
たとえば、子どもの失敗を叱るのは、その失敗を繰り返さないようにという愛情の裏返しと捉えられていました。
現在の親は、子どもに対して積極的に「言葉」や「行動」で愛情を示す傾向があります。
「あなたが大切」「愛している」という言葉を繰り返し伝えたり、ハグやスキンシップを通じて直接的な愛情表現を行います。
また、子どもの感情に寄り添う姿勢が求められるようになり、「嫌だったね」「悲しかったね」と共感を示すことが重要視されています。
これは、心理学的な知見が広まり、子どもの感情面の発達が人格形成において重要と認識されるようになったことが背景にあります。
私が思うのは、自分が育ってきた中で嫌だったこと、やってほしくなかったこと。
逆にこうしてほしかった、こうなりたかったと思う気持ちと経験を重視し、親を反面教師にしています。
そのような考え方の親も多いのではないかと思うのです。
社会全体で見れば、現在の方が子供に対しては良い環境になってきている、親の子供に対する姿勢も成長していると思います。
1980年代の親子関係は、親が「教える側」、子どもが「学ぶ側」という上下関係が明確でした。親は権威を持つ存在であり、「親の言うことは絶対」という考え方が一般的でした。
そのため、親は子どもを一方的に導く役割を果たし、親の方針に従わせることが多かったのです。
たとえば、子どもの進路や生活習慣についても親が決定権を持ち、子どもに選択の余地を与えないことがしばしばありました。
一方、現在の親子関係は「対等」に近づいています。親は子どもの意見を尊重し、子どもとの間に信頼関係を築くことを重視します。親が「完璧な指導者」である必要はなく、むしろ「一緒に成長するパートナー」であることが理想とされています。
そのため、親自身も子どもから学ぶ姿勢を見せる場面が増えました。
たとえば、家庭内で「お互いにルールを守る」という形で親自身も行動を律することで、子どもとの信頼を深めようとするケースが見られます。
親の考え方、教育への姿勢は確実に良い方向へ向かっています。
ただ、残念なことに会社の組織では縦型で規律を重んじる所がたくさんあります。
社会の変化はとても速いです。
人間もどんどんアップデートしてほしいし、それができると思っています。
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