中学生思春期真っ只中のメンタルヘルス①

自分のこと

私が中学生の頃、1990年頃のメンタルヘルスの理解は、現在と比べて限定的でした。

当時の日本ではメンタルヘルスの概念が一般に浸透しておらず、「心の問題」は見過ごされがちで、精神的な悩みやストレスは自己責任とされる傾向が強かったのです。

具体的には、メンタルヘルスに対する「理解」や「受容」の社会的な基盤が不十分で、心の問題はタブー視されやすい傾向がありました。

たとえば、学校や家庭でのストレスや不安、うつ症状といった思春期の子どもたちの悩みは、本人の「甘え」として捉えられることが多く、積極的にケアを受ける環境が整っていませんでした。

うつ病や不安障害などの疾患に対しても社会的偏見が根強く、精神的な健康問題を抱えていることを公にするのは難しいとされていた時代です。

さらに、教育システムも厳格で、受験競争のプレッシャーが強かったため、多くの子どもたちがプレッシャーからくるストレスを抱え込んでいました。

また、この時代の日本では「努力すれば何とかなる」「心の強さが大切」という根性論が教育や家庭生活にも浸透しており、精神的な支援よりも忍耐力や自律を求められる場面が多かったのも特徴です

この頃の私はうつ病の名前すらしらず、精神病に関しては授業すら出てこないので全くの無知です。

きっと当時の親も知らなかったと思います。

気合いと根性と我慢で乗り越えた世代ですからね。

ちょっとした気持ちの悪さ、気分の落ち込みは走れば治る、学校へ行けば治るとよく言われたものです。

私の家庭環境は相変わらず父の酒癖の悪さによって暗く重く閉ざされていました。

父は酒に酔うと、何かを話すたびに私を否定し、希望を伝えれば必ず拒絶され、私の声に耳を傾けることなど一度もありませんでした。

ただ「それは違う」「お前には無理だ」と言われ続け、自己否定が深まるばかりでした。

さらに、酔うたびに父は昔の嫌な話を繰り返し、私が触れてほしくないことまで容赦なく掘り起こして語りかけてきました。

感情を閉ざして受け流すことしかできなかった日々の中で、家は安らげる場所などではなく、むしろ息苦しい檻のようでした。

本心を語ろうとする気力は奪われ、逆に言えば言うほど新たな攻撃の的になるだけだと感じるようになったのです。

言えば言ったで怒られ、言わなきゃ言わないで怒られるこの理不尽な毎日

当時、学校での人間関係や学業の悩みも心を圧迫していましたが、家庭にいる父の存在がそれをさらに悪化させました。

学校でどれだけ苦しんでいても、家族に頼ることができるという希望はなく、母に話をするもこの頃の母はパートで働き始めており、時間に追われあまり聞き入れてもらえず、自分の心の叫びは誰にも届かないままでした。

孤立と自己否定に苛まれながらも、どうにか日々を過ごすしかなかったあの時期。

今思い返しても、自分の存在が周りから見えなくなり、自分自身も消えてしまいそうな感覚で、心が押しつぶされるようでした。

さらに私を追い詰めたのは、望まぬ文化部への入部を強制されたことでした。

当時の学校は、すべての部活の定員が満たされるよう、入部する生徒を既存の部活に均等に振り分ける方針をとっていました。

私が小学生の頃から夢見ていた陸上部は中学校には存在せず、他に興味のある部活もなかったため、仕方なくバスケットボール部に希望を出し、体験入部に参加することにしたのです。

しかし、その体験入部で最初に課されたのは、部員一人ずつ大声を出してチームを鼓舞するというものでした。

人前で声を張り上げ、しかも上級生の前で自分をさらけ出すことなど、当時の私には到底できませんでした。

案の定、声を出せない私に対して部長が厳しく叱責しました。「なんでそんなこともできないんだ」と言わんばかりの冷たい視線と責める言葉が、心に突き刺さりました

声出しを強要され、できないから叱責されるのは、理不尽です

特に恥ずかしがり屋で、人前で声を出すのが苦手な人には大きな負担。

苦手意識や個々の性格を理解し、できる範囲で慣れる機会を与えることが重要だと私は思うのです

私が心から望んだわけではないこのバスケット部。

嫌な気持ちを押し殺して顔を出してみただけだったのです。

そんな私の姿を、誰も理解してはくれませんでした。

周りと同じことができない自分を責められ、部活でも居場所を見つけられず、悔しくて悲しくてその場で泣いてしまいました

心の中に誰にも届かない叫びがこだまし、自分がますます小さく消えていくように感じました。

気力が尽き果てた私に残された選択肢は、定員割れしていた吹奏楽部に入ることだけでした。

決して自分が望んだ部活ではありません。

それでも仕方がないと思い、やむなくその道を選びました。

しかし、それを知った父は激怒しました

「どうしてそんな部活に入ったんだ」と責め立てられましたが、返す言葉もなく、ただ黙るしかありませんでした。

もはや決まってしまったことですし、父が求める「気合」や「根性」でどうにかできるような問題でもありません。

この一件は、私にとって人生で初めての深い挫折となりました

心が完全に折れたのです

それまで感じていた小さな違和感や辛さが、いっきに胸の中で崩れ落ち、何もかもが虚しく思えてきました。

心が折れると、人間は本当に何も考えられなくなるのだということを、そのとき初めて知りました

ぼんやりとして、ただ時間が過ぎるのを待つだけの日々。

よく漫画や小説で読んでいた「心が折れる」という表現が、あのとき実際の自分に起こっているのだと実感しました。

現実の苦しみは、想像や言葉よりもずっと重かったです

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